[編集] ホツマツタヱの成立と継承
『ホツマツタヱ』は、前編28アヤを、カンヤマト イワハレヒコ(記紀にいう神武天皇)の命によってオオモノヌシクシミカタマノミコト(同じく大物主櫛甕玉命)が編纂し、後編12アヤは、オシロワケ(同じく景行天皇)の世にオオタタネコ(同じく太田田根子)がヤマトタケ(同じく日本武尊)の鎮魂のためにヲシテ(ホツマ文字)で編纂し、同天皇に捧げた旨の記述がある。
先物取引
[編集] 写本発見までの経緯と公開されている写本
どのような経路を辿ったか不明である。大物主櫛甕玉命78世の子孫に当たる、和仁估(三輪)容聡(ワニコ・ヤストシ)は、徳川時代の安永年間(1772年 - 1780年)まで家宝として所蔵していた。和仁估家に後嗣がなかったので、近江国三尾神社に奉納したという。
1874年に、小笠原通當の甥の小笠原長弘は、『ホツマツタヱ』を筆写して宮中に捧げることを試みたこともある。この写本は別名「奉呈本」と呼ばれている。
投資信託
1966年8月のある日、松本善之助は東京神田の古本屋に行き、そこで、『秀真伝(ホツマツタヱ)』の写本と明治初めの国学者落合直澄(1840 - 1891)が書いた解説書を手にしている。このときは、『ホツマツタヱ』全40アヤのうち、3アヤしか発見できなかった。しかし、古書探索に必要な手がかりを得たことで各地をあたり、後日、四国の宇和島にある小笠原長種宅にて、全40アヤが発見された。これは『覆刻版ホツマツタへ』として1971年6月に出版されて世に出た。また、内閣文庫に完写本(「内閣本」と呼ばれる)が所蔵されていることも判明した。
1992年5月、『ホツマツタヱ』の別系統の写本である「容聡本」が発見された。滋賀県にある日吉神社の御輿庫の棚の奥に、3cmほどほこりが積った桐細工の箱が三つあり、ほこりを払うと秀真の文字が現われた。長弘本と異なり、ヲシテ(ホツマ文字)に漢字の訳が添えられた構成になっていた。この発見によって、1874年に時の政府へ奉呈を試みたとされる長弘本は、容聡本を基にしてヲシテ(ホツマ文字)のみで書かれた漢訳の付いていない写本、という位置づけになることが判明した。容聡本を含む公開された全ての写本を校正し、記紀との比較対照を可能とした完本は『定本 ホツマツタヱ』として出版されている。
FX
[編集] 和仁估容聡と小笠原通當について
季刊『邪馬台国』1993年秋号52号梓書院所収、「偽書」銘々伝(藤野七歩)による和仁估容聡と小笠原通當。
和仁估容聡は『秀眞政傳紀』(40紋 安永4年(1775年)頃?)を書き、自序に「大物主櫛甕玉命七拾八世之頴孫和仁估容聡」と書いた。『高島郡誌』(大正15年)では、容聡は修験者として安曇村田中横井川または三尾川(現滋賀県高島郡安曇川)に住みつき、本名は井保勇之進で、子孫は安曇村西万木にあるとしている。また、山伏和仁古容聡が安永年間に滋賀県高島郡安曇川近辺の神社の本土記を書いたという。なお容聡の先祖に大鶴軒孝阿(伊保坊23代で進藤孝尚の息子『万木森薬師如来縁起』による)がいるとされる。
安永8年(1779年)、『春日山紀』(溥泉)に『秀眞政傳紀』が引用された。
寛政5年(1793年)、『和字考』(園城寺住職の敬光)に『秀眞政傳紀』が引用された。
天保元年(1830年)、近江高島郡藤田家において京都天道宮神主・小笠原通當(みちまさ 吉田神道)によって『秀眞政傳紀』が発見された(『秀眞政傳紀傳來由緒書』野々立蔵明治22年による)。
嘉永4年(1851年)、『神代巻秀眞政傳』(10巻 小笠原通當が天保14年(1843年)に書く)が出版された。
[編集] 完本として公開されている写本
和仁估安聡本(やすとし本)
漢訳文付本
写本自序;安永4年・1775
1992年発見
『和仁估安聡本ホツマツタヱ』(わにこやすとしほん ほつまつたえ)として印影版が市販された。
現在につたわり公開されている写本すべての親本。21アヤがカタカナ表記。28−41(4行)カタカナ表記。
小笠原長弘本(ながひろ本)
写本時代、明治33年頃/1900頃
1967年発見
『覆刻版ホツマツタへ』として市販された。
抜け行の多い写本。特殊ヲシテ表記が少ない。古い濁音表記が少ない。数詞ヲシテ(数詞ハネ)の表記が少ない。13アヤで8行、16アヤで8行の抜け個所あり。
小笠原長武本(ながたけ本)
写本時代、明治期;1868〜1921
数詞ヲシテの表記が多い。13アヤで8行の抜け個所あり。
内閣文庫所蔵本(小笠原長武写本)
国立公文書館、所蔵
写本時代、明治期;1868〜1921
国立公文書館で閲覧できる。
小笠原長武本と同等。数詞ヲシテの表記が多い。13アヤで8行の抜け個所あり。
[編集] 写本が近世まで秘匿された理由の推測
一般に、『日本書紀』編纂者の意図は、中国(唐)に対する外交政策を有利にするために、日本にも皇帝に匹敵する天皇がおり、正史を漢字で記すだけの文明があると証明する必要があると考えて、漢字で記された歴史書を作ったという見方が定着している。
中国の皇帝は、天帝思想であり、天から使命を得て帝位についている。ホツマツタヱの研究者である池田満は、ホツマツタヱの中で当時カミヨ(上代/神代)と呼ばれた歴史について、記紀の編纂にあたり、地上でのできごとではなく天上でのできごとであることにし、日本の天皇も皇帝と同じく天帝であると潤色したのではないかと推定している。ホツマツタヱのカミヨ(上代/神代)の記述の内、アマカミ(古代の天皇の名称)の記述以外、臣下であるトミ・オミ(臣)の記述は全く記紀に訳出されていないからである。朝廷は、当時の国字であったヲシテを捨て、漢字を国字に、漢文を公文書の公用語として採用した。そして記紀が成立し、日本書紀が正史とされ、漢字・漢文により表現する時代が長くなると、ヲシテを振り返るものもなくなり、いつしか秘伝の書とされるに至ったのではないかと推測している。
日経225
[編集] 再発見と現代研究
1966年 松本善之助氏(故人)が「ホツマツタヱ」小笠原長武本3アヤ発見。
1967年 同氏によって「ホツマツタヱ」小笠原長弘本全40アヤ発見。現代研究開始。
1973年 「ミカサフミ」(和仁估安聡本)8アヤを発見。「フトマニ」(野々村立蔵本)全巻を発見。
1970年代末から研究書刊行多数。
1980年 松本氏と池田満氏(松本氏の門下)によって「トシウチニナスコトノアヤ」1アヤ分(溥泉筆)を発見。
現在も研究中。
「漢訳せずに、ヲシテのまま研究すべき」という池田氏の考えと、漢字仮名混じりで研究するその多の考えなどが研究者の中である。
[編集] 脚注
^ ホツマツタヱの「ヱ」の文字に、「へ」や「エ」を当てる研究者が存在するのは、「ヱ」の文字は後世作られたものなので、ヲシテ文献の表記に用いるのが適切かどうかなどを巡って、諸説定まっていないためとする考えもある。
^ なお、ノートでは、事実に反することが書き込まれているとひとりの編集者が繰り返し指摘している。その編集者は「本記事の編集は、信頼性のない個人の主観に基づいて不適切な形で篩い分けが行われ、存命しているたった一人の特定の個人研究者の、信頼に値しない主観に基づく客観性のない独りよがりな研究のみが反映して、その他の研究者の研究成果や主張の全てが排斥される方向に向かって、記事に不適切な改竄が繰り返し施されている可能性がある」と主張している。
^ 斎部広成の『古語拾遺』(808年)において「蓋聞 上古之世 未有文字 貴賤老少 口口相傳 前言往行 存而不忘」と記されており、漢字渡来以前の日本には文字が存在しなかったことが述べられている。
目録
アのヒマキ(天の巻)
コトノベのアヤ (序)
キツのナとホムシさるアヤ(1.東西の名と穂虫去る紋)
アメナナヨトコミキのアヤ(2.天七代、床御酒の紋)
ヒヒメミオうむトノのアヤ(3.一姫三男生む殿の紋)
ヒノカミのミズミナのアヤ(4.日の神の瑞御名の紋)
ワカのマクラコトハのアヤ(5.和歌の枕言葉の紋)
ヒノカミソフキサキのアヤ(6.日の神十二后の紋)
ノコシフミサガをたつアヤ(7.遺し文サガお絶つ紋)
タマがえしハタレうつアヤ(8.魂返しハタレ撃つ紋)
ヤクモウチコトつくるアヤ(9.ヤクモ撃ち琴つくる紋)
カシマたちツリタイのアヤ(10.鹿島断ちツリタイの紋)
ミクサゆつりみうけのアヤ(11.三種神器譲り、御受けの紋)
アキツヒメアマカツのアヤ(12.アキツ姫、天が児の紋)
ワカヒコイセススカのアヤ(13.ワカ彦、伊勢、鈴鹿の紋)
ヨツギのるノトコトのアヤ(14.世継ぎ告る祝詞の紋)
ミケヨロツなりそめのアヤ(15.御食、万、生成の紋)
はらみつつしむヲビのアヤ(16.胎み慎しむ帯の紋)
外為ワのヒマキ(地の巻)
カンカガミヤタのナのアヤ(17.神鏡八咫の名の紋)
ヲノコロとまじなふのアヤ(18.オノコロとまじなふの紋)
ノリノリヒトヌキマのアヤ(19.ノリノリヒトヌキマの紋)
スメミマゴトクサゑるアヤ(20.皇御孫十種神宝得る紋)
ニハリミヤノリさたむアヤ(21.宮造り法の制定)
ヲキツヒコヒミツのハラヒ(22.オキツヒコ火水の祓)
ミハさためツルキナのアヤ(23.御衣定め剱名の紋)
コヱクニハラミヤマのアヤ(24.コヱ国ハラミ山の紋)
ヒコミコトチをゑるのアヤ(25.ヒコ命鉤を得るの紋)
ウカヤアヲイカツラのアヤ(26.ウガヤ葵桂の紋)
ミオヤカミフナタマのアヤ(27.御祖神船魂の紋)
キミトミノコシノリのアヤ(28.君臣遺し法の紋)
ヤのヒマキ(人の巻)
タケヒトヤマトうちのアヤ(29.神武大和討ちの紋)
アマキミミヤコトリのアヤ(30.天君、都鳥の紋)
ナヲリカミミワカミのアヤ(31.ナオリ神ミワ神の紋)
フジとアワウミミズのアヤ(32.富士と淡海瑞の紋)
カミあがめヱヤミたすアヤ(33.神崇め疫病治す紋)
ミマキのミヨミマナのアヤ(34.ミマキの御世任那の紋)
ヒボコきたるスマイのアヤ(35.ヒボコ来る角力の紋)
ヤマトヒメカミしつむアヤ(36.ヤマト姫、神鎮む紋)
トリあわせタチバナのアヤ(37.鶏合せ、橘の紋)
ヒシロノヨクマソうつアヤ(38.ヒシロの世、クマソ撃つ紋)
ホツマうちツズウタのアヤ(39.ホツマ撃ち、つず歌の紋)
アツタカミヨをいなむアヤ(40.アツタ神、世をいなむ紋)